ロジカルシンキングは「説得ツール」でしかないのか?

先日、
友人がfacebookで「いいね!」していたのをきっかけに、
ロジカルシンキングの弱点を考えてみた」という投稿を見ました。

曰く、

このロジカルシンキングの弱点は、
他人を説得する際には絶大な力を発揮する一方で、
物事の成否を見極めるには、それほど役に立たない点だと思います。

とのこと。

最後は、

■ロジカルシンキングは説得ツールと割り切る
ロジカルシンキングは
他人を説得するための手段としては
非常に優れたツールと言えますが、
物事の成否を見極めたり
将来の可能性を探るための手段としては
少々荷が重いなと私は感じます。

と結んでいます。

ロジカルシンキングは、
確かに、将来の可能性を探るための手段としては、向いていないとは思います。
将来の可能性(=仮説)は、積み上げで創っていくものではなく、
人のニーズありき、あるべき姿ありきで、考えていくものだからです。
ましてや、ニーズは顕在化していないことも多いです。

だから、
「物事の成否を見極めたり
将来の可能性を探るための手段としては少々荷が重い」ということには、
ある程度賛成です。

ただ、
「説得ツール」としてしか使えないかという点では違和感を覚えました。

「論理的思考は手元にある過去の情報を組み合わせて、
筋道を立てる作業と言えます。」と言ってますがそうなのでしょうか。

将来のある点を定めた場合に、
マイルストンを置いていき、そこに向けた筋道を立てていくことも、
論理的思考の大きなメリットだと感じています。

可能性を探るための手段にはならなくても、
可能性を高める段取りを計画すること出来るはずです。
目標を定めたのちのワークプランを立てるためのツールとしては有効です。

確かに、仮説を積み上げていくためのツールにはなりませんが、
説得・報告のツールとしてだけでなく、
問題解決プロセスを考える際においても有効だ、
というのが自分の感じた違和感の元だったんだと思います。

論理的思考の問題点についてもいくつか触れられていますが、
論理的思考を理解している人であれば、
その問題点を理解したうえで、活用しています。

論理的思考の問題点は、
人間が自分達が認識できる現実の範囲を「全体像」と捉えてしまう点にあります。

ロジックを構築する土台となる材料自体が不正確さを含んでしまっているので、しばしば人間の将来に対する認識はあっさり裏切られてしまいます。

周囲を納得させるロジックを形成するための「思考」と、それがうまく行くかを判断するための「思考」は分けて考える必要がありますが、現状では意思決定においてこの2つがごっちゃになってしまっている

例えば、
あくまで自分たちが認識できる現実の範囲が「一部だ」と捉えていれば、
また、どこが不正確な材料なのかということが把握できれば、
次に検証するポイントが見えてきたりするものです。
判断するうえでも、どの部分を割切るのかということが分かります。

弱点があるから、〇〇のシーンでは使えない、ではなく、
弱点を理解したうえで使うことが出来るかが大事なんだと思います。

あらためて、この投稿を読んで、
単にビジネスの共通言語としてだけでない
ロジカルシンキングの重要性を感じました。

ただ、
投稿にある通りロジカルシンキングを使ったからといって、
上手くいかないことが、他にも多々あることも事実です。

説得でも、報告でも、
あまりにロジカルに説明したら、逆効果なんてことありますよね。

例えば、夫婦喧嘩。
「そもそもさ、今回の問題点は3つあって…」なんて、
奥さんを詰めたら大炎上は必須です。

なんでロジカルシンキングを使ってもうまくいかないのか。

「人間が自分達が認識できる現実の範囲を『全体像』と捉えてしまう」他にも、
ロジカルシンキングが抱える弱点・限界・問題点を考えてみたいと思います。

続く

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