「モノ消費からコト消費へ」で大事なのは「体験」ではない。

観光雑感

「時代は『モノ消費』から『コト消費』へ」と叫ばれて久しいですが、言葉がブームになると盲目的にその方向に流されていく傾向にとても危機感を感じます。

「地方創生だ」と叫ばれれば、使用用途が定まらないまま多くのお金が地方に流れ無駄遣いされているように、「コト消費」=体験が叫ばれて、ただ体験系コンテンツを創ろうとする動きには、無駄が一杯。

 

モノ消費からコト消費って言われてる時代だって、本当にいいモノは欲しいって思うでしょ?
コト消費だとかいうけど、つまんない「体験」は、やっぱくっそつまんないわけです。

モノ消費からコト消費への時代の流れ

なんで、時代は、モノ消費からコト消費へと移行しつつあるか。
日経ビジネスのまとめの冒頭文がわかりやすいなと思って引用します。

時代は「モノ消費」から「コト消費」へ――。製造業だけに限らず、小売・サービス業など幅広い業界でここ数年よく使われている言葉だ。市場は成熟し、すでに必要な「モノ」はほとんど手に入った。そこで人々の関心は「モノ」の所有欲を満たすことから、経験や体験、思い出、人間関係、サービスなどの目に見えない価値である「コト」に移行してきている。(引用元:日経ビジネス)

「必要なモノはもう手に入ったから、目に見えない価値を求めるようになった」ということです。

これは時代の流れとしてもとても分かりやすいなと思うんです。
同じ「コト」を買うにしたって、そのサービスなどを重視するようになったというのも身近に感じることができます。

でも、ここで注意するべきは、
「コト消費」は、目に見えない価値を指しているのであって、
決して「体験」だけを指してるわけではないということです。

幅広過ぎる「体験」の定義

加えて、そもそも、「体験」自体の定義も曖昧です。

「日本文化体験」と称して、お茶を入れるなら分かりますが、
例えば、歌舞伎を鑑賞する、この「観る」行為は体験でしょうか。

「観る」を「体験」と言ってしまうと、
もはや「体験」じゃないものを探す方が、難しいかもしれません。

使い始めて、そして、考えてみて初めて気付きましたが、
「体験」は、使いやすいんだけど、説明しづらい言葉です。

「目に見えない価値」=「体験」ではない

にもかかわらず、特に観光分野では、
「モノからコトへ」が「爆買いから体験系へ」的意味合いで用いられているケースも散見されます。
http://nightley.jp/archives/6711
http://magazine.ekiten.jp/blog/194029
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161121-00010001-biz_mos-biz

そして、「これからはやっぱ体験ですよね」と思っている人も多いのでは。

もうたぶん多くの人にとっては「コト消費」って言われても何のことかわからないと思います。
そしてわかりやすくしようとした結果、
爆買いと対比して、コト消費=体験中心という解釈がされるようになってきています。

でも、別に、体験だって、受け取る価値がイメージそのものもあるし、
逆に、「モノ」だって、そのもの以上の価値を感じる時だってあります。

言葉を選ばずに言えば、「時代はコト消費へ、だから体験だ!」の大号令のもと、
税金も投入して、くっそくだらなくてつまらない体験コンテンツが、
量産・拡散されるのは、なんとも言えない気持ちになるのです。

体験自体に、目に見えない価値はない。

「モノ消費からコト消費へ」の原点に戻って、
「目に見えない価値」のつけ方をもっと考えるべきです。

それが場合によっては、体験を織り交ぜるコトかもしれません。

個人的には、ストーリー性を付与したり、楽しみ方を提案する過程で、
その一つの手段として、「体験」があるものと思ってます。

モノだって、デザインやストーリーを付与することで、
まだまだ多くの可能性を秘めています。

 

 

「消費者が感じる『価値』を提供できているか。」

これが、コト消費時代での大事なポイントです。

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