人間味のある会社文化にしたいと思った背景

事業

大学卒業後、最初の約4年間はTHE日系企業で、次の4年間はTHE外資系企業で働きました。

その両方の会社での勤務経験によって、今の自分の「働き方」、目指したい企業文化が形成されてきたんだろうなと感じます。

Work hardな部分は両者から、礼儀作法上下関係的な部分はTHE日系企業から、プロフェッショナリズムはTHE外資系企業から。

では、人間味のある会社文化にしたいと思ったのはどちらの影響を受けたのか。

 

より強く印象に残っているのはTHE外資系企業からでした。

 

それは、反面教師的な意味合いではなく、
その会社を好きになる大きな要因であるくらい素敵なところでした。

 

THE外資系企業というと、
「ある日突然別室に呼ばれて、戻ってきたら荷物まとめて出ていく」という、
主に退職にまつわるとてもドライなイメージがあります。

実際に、「Up or Out(昇進か、退職か)」文化は存在します。
求められるのは「結果(付加価値)」であり、その「過程(努力量)」は評価されません。

 

でも、とても人間的な会社だなぁ、という実感があります。
イメージとのギャップによる効果もありますが、
日本企業よりよほど家庭的で、人間味に溢れていました。

仕事の時にメンバーの成長をお互いが支えあっているという抽象的なものや、
アラムナイネットワークが充実していて今も頻繁に会うといった話もありますが、
いくつか心に残っているエピソードがあります。

 

子どもの出産や家族行事は最優先

THE日系企業にいた時は、
先輩たちがそこまで出産に立ち会っているという印象がありませんでした。

統計とったことないですけど、感覚値5割くらい?そんななかった気もします。
単身赴任の人もいれば、里帰り出産、お客様ま優先…そんな空気がありました。

でも、THE外資系企業では、
希望する人はほぼ出産に立ち会っていました。

「忙しくて普段あまり家庭にいない分、要所(出産)は抑えておかないと」

そんなことを冗談で言っているリーダーもいましたが、
人生の大事な瞬間に立ち会えるよう、
どんなに忙しくても仕事をチーム全体で支えあう、そんな文化がとても好きでした。

 

出産に限らず、夏休みの日程を調整しようとしていた時のこと。

どうも仕事の山が抜けそうで、抜けない、
しかもいつ炎上するかもわからない、そんな日々が続いていました。

彼女(今の妻)と旅行に行く予定で、休みを合わせようとしてたけど、身動きが取れない。

最終的に出たリーダーからの結論は、
「○○日~○○日で休む方向で、旅行の計画を立ててもいい。
最悪炎上して休めなくなったら、旅行のキャンセル料は持つから」というもの。

斬新でした。

まぁ結局問題なく、そのタイミングで休めて旅行に行けたのですが、
「PC持っていくんで何かあったら連絡ください」って言ったら、
「PCは置いてけ。やすむときはやすめ。PCなくしたらどうするんだ」と。

PCなんて四六時中携帯している人々だし、なくすリスクなんて考えてないだろうけど、
完全に休めるようにと気を遣ってくれたぶっきらぼうな優しさも嬉しく感じました。

 

会社のイベントでもSO(Significant Other:配偶者や恋人等)同伴行事が多く、
会社が忙しすぎる分、挽回するべく家庭的な一面も強く持っていました。

 

震災後に駆けつけてきたCEO

2011年3月11日。
東日本大震災があった時、THE外資系企業で働いていました。

津波の映像が日々流れ、第一原発は危険な状況。
多くの外国人はあの時日本を離れていきました。

地震の直後から、海外の役員たちから日本の社員全員あてにメッセージが飛んできました。

「大丈夫か?俺たちがついているから安心しろ。」

細かい内容は覚えていませんが、そんなメッセージがたくさん来てました。

一方で、日本のオフィスからも、
「一週間は自宅待機で、もし希望であれば家族の名古屋への避難も支援する」
といった旨のメッセージも飛んでいたように思います。

「東京も危ないかも」なんて状況だったなぁと今振り返ると思いますが、
会社が、負担とか費用対効果とか考えずに、そういうメッセージを発せられるのって、
自分が経営側の立場になると結構すごいことだよなとも思うのです。

そういう余裕を持ちたいな、とも思うし、
余裕がなくても、そういう決断を下していきたいなとも思った一件でした。

そして、外国人の日本脱出が進む中、
1週間ほどたち自宅待機が解けるころに、グローバルのCEOが日本にやってきました。

世界数十か国にオフィスがあり、常に飛び回っていて超多忙のCEO。
それまでも年一回くらい日本オフィスに来ていましたが、震災後の緊急来日。

「もっと早く来たかったが、某国首長とのミーティングがずらせず遅くなって申し訳ない」
「私たちは常に皆さんと一緒にいる。業績のことは心配しなくていい。復興にぜひ貢献してほしい」

多くの外国人が逃げていく中、あえて他の予定を飛ばして日本に来て、対面で伝えてくれたメッセージ。

あぁこの人かっこいいなぁ。
この人が率いる会社で働いていてよかったなぁと誇りに思えたひと時でした。

 

仲間の不幸に際して

2011年12月。
大切な仲間であり、偉大な先輩が若くして他界しました。

日曜日の夜に別の友人から電話があり、今晩が山かもしれない、と。
ちょうどその週末に、妻の実家に結婚の報告に行って帰ってきたところでした。

慌ててタクシーで病院に駆けつけ、
何ができるでもなく、その場で見守り、その日は解散となりました。

翌朝、目を覚ますと、一通のメールが。
呆然としました。

あれ、一週間前にスカイプに着信あったよな。
タイミング会わず話せなかったけど、またすぐ話せると思ってたのに。。。

月曜日の朝。

会社に行っても呆然。

職場にいる訃報を知らない共通の友人にそのことを伝える途中から言葉にならない。
仕事にとりかかろうとPCを開くけど、前が見えない。
やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、仕事にならない。

告別式・葬式の段取りが決まっていく中、
リーダーに話をしに行きました。

「心が落ち着くまで、ゆっくり最後に送り出してあげなさい」

その週は、ボーっとしていて殆ど覚えてないのですが、
告別式、葬式、シェアハウスにお邪魔したり…とゆっくりお見送りすることができました。
個人的にはとても大切な時間でした。

 

 

子どもの出産もそうですが、(超多忙でも)緊急時に融通を効かせてくれ、
プライベートの時間を作ってくれる文化は、本当に素敵だなと感じていました。

 

 

THE日系企業だと、そこまではできなかったんじゃないかなと思うんです。
いや、できたかもしれないけど、自分は言い出せなかったかもな、と思うんです。

THE外資系企業は、確かにWork too hardだったし、求められるものも多かったけど、
それでもその組織に属していたことは誇りだったし、好きな会社でした。

そして、チームに支えてもらった分、
今度はチームに、会社に、貢献しようと思えたものでした。
それは今もアラムナイ(卒業生)として貢献しようと思ってます。

 

そんな実体験も踏まえ、
自分は、家庭的で人間味のある会社・チームを創っていきたいなと思うわけです。

そして、支え合いながら、何かあった時は迷惑をかけるけど、
その分は別の機会に挽回しよう、誰かが困った時は自分が支えようっていう
相互扶助的なメンタリティを持った人と働いていきたいと思ってます。

 

季節の変わり目、暑い日が続き体調を崩される方も多いようです。

スタッフ・ガイドの家族・親族・友人の健康を祈りつつ、
何かあった際にも寄り添える存在でいたいです。

そして、チーム一丸となって、お互い支えあい、観光を盛り上げていければと思います。

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