前回、「価値あるブロガー・インフルエンサーかを判断する基準」という投稿をしました。
スポンサーを探しながら旅をする人を見て「そんな旅の仕方があるんだ~」とは思うものの、そんな旅をしたいな、とはあまり感じませんでした。
「記事書くから無料で招待してよ」って、気持ちはとてもわかるのですが、
無料で招待してもらってしまうと、人間として批判的なことは書けなくなります。
そもそも、批判的なことはあまり書かないにしても、
逆によいしょしなきゃって感じになっちゃいます。
でも、それって、リアルな情報を知りたい読み手に対して失礼なのでは?
「逆に、無料で招待するから記事を書いてよ」
というインフルエンサーマーケティングもなんだかなぁと感じます。
—
数年前に、食べログの口コミを巡ってのステマが問題になりました。
その問題視されたステマとインフルエンサーマーケティングって変わらないと思うんです。
言葉を変えたまやかしのような。。。
インフルエンサーマーケティングが、若干持ち上げられている感があって、
売る側からすればうまく利用すればいいと思うのですが、なんだかなぁっていう感じです。
(…って言いながら、招待されて、ちょっと浮かれて行っちゃったりすることもありましたが。)
1-2年前から、Instagramがみんな使っててアツいです的なことを言ってるけど、
流れてくるものが広告的過ぎて、そろそろ限界かなと感じたりもします。
インフルエンサーマーケティングは、結果的に自分たちの首を絞めている気もしますが、
稼げるうちに稼いでおこうっていうことなのでしょうか。
—
マーケティングする側からすると、一つのメディア戦略ということでしょう。
メディアを誘致するのはいいけど、個人を誘致してやるとステマと呼ばれる歯がゆさを、
「インフルエンサーマーケティング」というかっこいいワードが書き消してくれて喜んでいるかもしれません。
メディアにお金を払って載せる場合には、
記事広告として、「この記事は広告です」と明記してるけど、
メディアを無料で誘致して、そのメディアが自主的に描いたものはわからない。
個人インフルエンサーの場合、
全部自主的なのかお金をもらっているのかわからない。
そこはモラルの問題もあるのかもしれません。
多少融通が利く状況を生かしながらも、でも無駄なお金を使わないためにも、
何のために、どういう人を呼ぶべきなのかはよく練る必要があります。
一概に、「インフルエンサー」といってもピンキリなので。
そして、何より、ちゃんと魅力的な「もの」がないと、
発信しても逆に期待外れになってしまいかねないリスクがあることを
ちゃんと認識するべきだと思います。
—
何はともあれ、自分は、他人に気を配りつつも、誠実に、自由なことを書きたいなと思うのです。
何書いてもいいし、むしろ書かなくてもいいって言うんだったら、
行ってみて、よければ書くし、悪ければ改善点を直接お伝えするので、
ぜひ、お声がけください。
あ。その前にまずは自分が「価値あるブロガー・インフルエンサーかを判断する基準」をクリアしなきゃ。
コメント