僕が起業に至るまで(その3:完)

前回、投稿してからだいぶ間が空きました。

『僕が起業に至るまで』

その1がこちら
その2がこちら

すっかり忘れちゃわないうちに、
最後まで書いてみようと思います。

ドタバタしていた1か国目インド

2013年11月20日。
成田発デリー行JAL便。

この飛行機で、
僕たちの世界一周新婚旅行が始まりました。

「え?初めにインド行くの?奥さん大丈夫?」

多くの方からご心配頂きました。

ご心配頂いた通り、
嫁とインドは、水と油でした。

「好き嫌いがはっきり分かれる国」とはよく言ったもので、
嫁は「インド嫌い派」でした。多分旅の中で唯一の嫌いな国だと思います。

ちなみに、「好き嫌いがはっきり分かれる国」と言いますが、
優柔不断な僕は、好きでも嫌いでもない感じでした。

どんな感じかというと、出張で行けと言われれば喜んでいくけど、
住めと言われればちょっとなーっていう感じです。

何はともあれ、
結果的には、最初が一番最低だった分、
その後はそれ以上しかなかった、ということで、
「1か国目インド」はいい選択だったなということにしています。

脱線しましたが、
結構インドを旅するのは大変でした。

僕としても久々のバックパック旅行だし、
夫婦でこんな旅は初めてだし、
日々の「旅」に一生懸命であまり考える時間もないまま、時間が過ぎました。

旅に出ると時間が有り余ってしょうがない、
落ち着いて考える時間もいくらでもとれるだろかと思ってたけど、
もうほんとに、
「次はどこに行こう」「どうやって行こう」「どこに泊まろう」
「物価はどんくらい」「移動する時の大体の相場はいくらだ」
「治安はどうだろう」「そこでは何を見ておけばいいんだ」…
考えることいっぱい。

いや、もちろん、だらだらしようと思えばいくらでもだらだらできます。
が、限られた1年という時間で色々行きたいと思うと、
結構やらなきゃいけないことは多いんです。

加えて、インドは、
電車が決まった時間に来ないどころか、数時間遅れも当たり前、
タクシーで移動しようにも、街中が祭りだとか嘘言われて連れてってもらえない、
予約したバスもキャンセルになったといわれ、さらにぼられそうになる。
IMGP0452.JPG

「帰ったら何しよっかなー」とかあまり考えられないまま、
1か月半が過ぎました。

ちょっと落ち着き始めた大自然のオーストラリア

やっと少し落ち着いた時間を持てるようになってきたのは、
キャンパーバンを借りて移動していた1月のオーストラリアでした。

「夜は、カンガルーが飛び出してくるから運転注意」ということで、
昼間移動しては、夕方にはその日の定住場所を決めて、のんびりする毎日。

改造されたエスティマの車内でミスチル聞きながら、
焼いた牛やラムを食べながら、
白ワイン片手に目の前の海を眺めがら、ボーっとする。
IMGP8136.JPG

狭い車内なので見た目の優雅感はなかったですけどね。

考えるにはとってもいい環境でしたが、
これだっていうものは見つからないまま、
オーストラリア生活は幕を閉じました。

3か月弱の3人旅行

そして、次の国ブラジルはサルバドールにて、
新橋でお茶をしていた親友と再会を果たしました。

彼は、このブラジルが一か国目。

「世界のどこかで『帰国後何をやるか』話そう」という約束を、
日本の裏っ側のブラジルにて実現。
なんだか海外での再会って心躍りますよね。

では、ここで何をやるか話せたかというと、否でした。
というのも、
ブラジルは、カーニバルに参加することが目的でした。
そして、本番ぎりぎりに到着したこともあり、
日々、練習に追われる毎日でした。

毎日、太鼓叩いて、飯食って、飲んで、寝る。

そんな日々。楽しかったです。
ナタカトシア集合写真

1か月弱のサルバドール滞在の後、
2か月弱、嫁と親友の3人での旅が始まりました。

時に、サルバドールで一緒になった仲間や
現地で知り合った人も交えての旅。

移動しがてら、飲みがてら、
新橋と同じように「何するべ」を語ってました。

旅をしながらずっと一緒に時間を過ごす。
どんな仲良くても数か月となるとなかなかそんな時間ないですよね。

そんな長くいれば、
そろそろ何するか決まるだろって思うかもしれませんが、
まだ決まりませんでした。

「飲食店やる?宿やる?○○やる?xxみたいなことやりたいね?」
少し現実的な選択肢が出てきつつはあるものの、
「これだー」ってお互い気持ちが一致するものはなく。

でも、この時期に、
「帰国後、何かを『一緒に』始めよう。」と、
本気でお互い腹をくくれたような気がします。

「友達と起業すると失敗する」的な話はよく耳にするけど、
この人となら大丈夫だろう、
この人と無理ならダメだろうなとも思いました。

いいものを産み出せるかは、
何をやるかより、誰とやるか、でしょう。

結局3か月弱の旅は、何やるかは決まらないまま、
ペルーのクスコで幕を閉じました。

スペインはトマト祭りでの再会を約束して、
メールで多少ブレストする日々が始まりました。

やるなら「ゲストハウス」だ

メールでブレストするって言っても、
ホント「多少」でした。

せっかくの世界一周。旅が最優先。
時間があっても、思考は浮遊していることが多かったのです。
つまり、ただボーっとしていました。

でも牛歩のようだけど、一歩一歩前へ。

やりたいことをリストにして、幅出ししたり膨らませたり。
何事も、ただ話すより、文字に落とした方が前に進みます。

サービス系の話は、楽しそうな方向性だけど、
なんだかふわっとしていて、あまり具体的な形が見えてこない。
一方で、箱物の話は、詰めれば固まりそうだけど、
初期費用は大きくかかるし、最初のハードルは高い。

そんなところを行ったり来たりしながら、
「飲食で人が集まる場所作るのがいいかな」と傾いた日もありました。

ただ、何かが違う。
それは、旅のテーマを決める時のように、
点としてはいいんだけど、何か違和感を感じていました。

海外と日本をつなぐ。

凄い真新しいサービスのようなものを産み出したいけど、
まだターゲットがどんな人なのかも掴めていない。

まず、海外から来てる人がどんな人で、
どんな思いを持っているのかを知るのが最初じゃないか。
それに旅の中で多くの外国の人に親切にしてもらった。
その恩返しのようなものもしていきたい。

それを考えたら飲食より、まず絶対ゲストハウスだ。

初期費用は掛かるけど、
サービスと違ってしっかり詰めていけば安定した収益は見込める。

日本は「物価が高い」といわれるけど、
海外を旅してみたら、他の先進諸国の方がむしろ高いくらいだった。
ただ、東京は、安旅行する人向けの宿が圧倒的に少ないと感じたのも事実。
だからこそ可能性があると思った、ゲストハウス。

日本に旅行しにくる人の役に立てる。

これなら、その先にも繋がる。

宿事情がいまいち過ぎたオシャレ大都市パリのドミトリーのベッドの上で、
ぼく個人の思いは固まりつつありました。

「ゲストハウスをやることが頭の中で回ってました。
高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいんじゃないかと思ったり。
どう思うかね。」

facebookでメール。
このやり取りをきっかけに、
「まず『ゲストハウス』を創る方向で起業しよう」と決まりました。

日本時間の2013年9月7日。
オリンピック選考の前日のことでした。

「五輪」をどう活かすか

日本時間、2013年9月8日朝5時20分。
ジャック・ロゲ会長の「Tokyo」の一言で、
2020年のオリンピック東京開催が決定しました。

「オリンピック来るし追い風だよね」って言われます。
が、ゲストハウスのことだけ考えると、
正直、「来なくてもいいかな」と思う部分もありました。

オリンピックが来ることで一時的に需要が増え、その後激減するし、
参入してくるプレイヤーも増えるし、いいことばかりではない。

でも、個人的にはオリンピック日本に来て欲しかったし、
こうなったら、その風に乗って飛べるところまで飛んじゃいたいなって感じです。

注目が上がるのは間違いなくいいこと。
一度来てもらった人に、
オリンピック後も来てもらえるように取り組んでいけたらなって思ってます。

「五輪」をどう活かすか。
とても大事です。

起業を決意するまでについて、まとめてみましたが、
本当の起業はこれから。

パートナーが日本に戻ってきてから、来年2月を目途に登記します。
それまでも、物件探しをはじめ、
ゲストハウスの勉強もできることを進めていきます。

まずは、「五輪」を活かせる立場になれるよう、
しっかりと立ち上げていけたらなと思っています。

右も左もわからない状況ですが、
これからもよろしくお願いします。

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