この投稿は「築地ツアー」をテーマに話を進めているけど、今回は1回だけ話をそらして、他のツアー・地域への展開の話をしようと思う。
1か所目を立ち上げるのもそれなりに労力はかかっているのだけど、築地というコンテンツ的にパワフルすぎる成功体験を背負っての2ヵ所目の展開もなかなかにパワーが必要だった。そして、立ち上げの初期に関しては、根性論のようで、多くの人の参考にはならないかもしれない。
でも、それぐらいの熱量がありさえすれば立ち上がるんだという、なんか発奮材料として見て欲しい。
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これまでのシリーズ投稿はこちらからご覧ください。

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錦市場食べ歩きツアー立ち上げのキーワードは「0泊3日」
築地と砂町のツアーは半年もすれば大分立ち上がってきた。
その頃から、ゲストから色々な要望を受け取るようになる。
「明日、誰かにガイドしてもらいたいんだけど誰かいないか」
「次に、京都行くんだけどなんか面白いコンテンツはないか」
僕たちとしても今後の拡大を考えれば、「東京でツアー数を増やすこと」と「東京以外のエリアに拠点を広げること」が現実的にわかりやすい選択肢だった。
前者は、ガイドのネットワークも出来てきたし、比較的イメージはつきやすかった。
だけど、他の拠点となると、全然どうしたものか土地勘もネットワークもない。
エリアとしては、ゲストが多くいき、文化的にも歴史的にもガイドのし甲斐がある京都が有力なのだけど、どうしよう。
事前に下調べをした結果、錦市場と嵐山でツアーを創ろうって事にはなったのだけど、ここからは、本当に河野(@yukono1017)の行動力の凄すぎるところだ。
まずは数日現地に入って、ツアーの骨子を創った。
いろんなお店がある中でどこを選ぶか、そして錦市場の後どのようにコースを締めるか、大枠を創りに行った。
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ツアーをはじめる前に、錦市場を食べ歩きしたときに書いたブログだけど、こんなお店を見ていました。今はもうないお店もあるし、値段もだいぶ違う…。(このブログ、当時は類似の記事も殆どなく「錦市場 食べ歩き」で1位で月に20,000PVくらい見られてました)

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ツアーの大枠を創って、ウェブサイト・OTAに商品を載せること自体はそこまで難しい事じゃない。作文さえできれば、すぐにでもできる。ただ難しいのは、ガイドをどう育てて、どう安定したオペレーションに乗せていくかということだ。
このあたり、日本全国のツアー造成で抜けがちなところだと思う。OTAに商品載せるまでか、その手前までしかやってない。本当に大事だし、手間がかかるのはそこからだ。
商品をウェブサイトに載せたら、申込が入った!幸先は良い!でもガイドはいない。
多くの人は、ゲストに「今回は受けられません」と断るだろう。それが普通。でも違った。受けた。
そこで、どうしたかというと、河野が夜行バスで京都に行き、錦をガイドして、夜行バスで東京に戻ってきた。0泊3日京都の旅。
今思えば若かった。今だったら、腰がいかれているかもしれない。
これを結構そこそこな回数繰り返した。
通常なら、断るか、まずは京都にスタッフを採用してから考えるだろう。
もうここは気合だった。見ていて、頼もしい限りだった。
世界一周中の仲間と共に歩みだした一歩
しかしながら、0泊3日をいつまでも続けているわけにはいかない。
京都のガイドの方で受けて頂ける方を探し、ツアーの内容を共有した。
これで少しずつ、広がりは出来てくる。
しかしながら、研修等のたびに京都に足を運ぶのにも時間がかかる。
もっと展開していきたいけど、やはり遠距離だと踏ん張りは聞かない。
京都に進出する前から、京都に拠点を置いている世界一周旅行中にブラジルであった仲間たっちゃんと定期的にコンタクトを取っていた。京都に行くとき飲んだり、東京に来たとき飲んだり。
たっちゃん(@BackPackerd)は当時まったく別の業界で働いていたのだけど、プライベートで「ENGLISH OK運動」という旅人をサポートする活動をしていたり、生粋の旅人でもあり、何よりも旅中にあった中での一番のナイスガイでもあったりしたこともあり、是非どこかで何か一緒にできないかなと思っていた。
そして会うたびに、「一緒にどうだろう」という話をするようになっていた。
0泊3日の回数も安定し、現地のガイドの方々も活動を始める中で、これをぐいんと成長させるにはたっちゃんの力が絶対的に必要だと思い、話し続けた結果、遂にたっちゃんがジョインしてくれることになった。
2016年秋だったかな。
最初は京都オフィスもなく、カフェで作業をしてもらっていた。
そんな環境でもジョインしてくれて、彼自身、ゲストに京都を楽しんでもらいたいという一心で、ガイドの方々とも地域の方々とも全力で接していた。
その後オフィスを構えるようになり、メンバーも4人になるまで京都は拡大していった。
核となる1人目は本当に大事な存在で、あれが一つの変化点となった。
コロナ禍で京都のメンバーは全員離れることになってしまったのだけど、依然として京都でツアーを組むことが出来るのは、あの時たっちゃんを軸に立ち上がり培ってきたネットワークあってこそだと思う。今も初期のガイドの方々に支えられている。
よく、「次はどこに拠点を展開するんですか」と聞かれることがあるけど、「場所より人。立ち上げたいと思うアツい人がいるところで立ち上げる」と話してきたのは、立ち上げにはパワーがいるし、こう核となる人の大切さを感じたところにあった。
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