「いい子」を育てるのが「いい教育」なのか。

雑談

先日、ご縁を戴き、母校の授業で中学3年生向きに50分ほど話しました。

中3って反抗期かなぁ、ちゃんと聞くのかなぁと、自分たちを振り返って思ったりしてましたが、蓋を開けてみると、みんな態度も質問も素晴らしくびっくり。

でも、先生の話す中で、教育の難しさを垣間見ました。

「いい子」「いい教育」とは何か

「なんだか聞く態度良かったですね。びっくりしました」

講演が終わり、そんな雑談をしていました。

始まるときに、先生の話もよく聞く、
はじまってからも(一部の生徒が寝ていた以外は)聞く態度はまっすぐ、
質疑応答の質問も中三でその質問するのか、といったものまでありました。

「中三のころなんて、マガジンを教壇に向けて投げるやつがいたり、
結構いろんな人が、いろんな事やってた時期だと思ってたんですけどね。」

かれこれ、そんな時代から約20年。
時が経つのは早いものです。

教師曰く、
「確かに最近の子はちゃんとしてる子は多い。
でも、エネルギーあるとがったやつがあまりいなくなってしまった」ようなのです。

セリフ自体は覚えてませんが、そこが課題でもあると、そんなことを言っていました。

なるほど。

確かに、そこそこできる子が量産されても、
世の中を変えられるようなとがったやつが生まれてこないっていうのは問題なのかもしれない。

授業態度まじめな「いい子」が、果たして世界・日本規模で考えた「イイコ」なんだろうか。
「いい子」を育てるのと、「イイコ」を生み出すのはどちらが「いい教育」なんだろうか。

そして、これって、自分の母校に限らず、
全国的に前者の傾向があるんじゃないかって思うようになりました。

教育現場には「反面教師」など変態も必要だという仮説

何が変わったんだろうと話す中で、一つ気づいたことがありました。

昔は、生徒も今より荒れてた人もいたかもしれないけど、
当時って教師も教師で、変わった教師がいたよな、と。

受験勉強を終えたばかりの中学一年生の僕たちに、ひたすら1年間仏教の話だけを教え続けた先生とか。

今観光に携わる立場から思えば貴重過ぎる授業だったのですが、
当時は、配布される資料の量も尋常ではなく、かつ、資料とノートの整理についても厳しく、
中1(そして一部の親)から、ものすごい反発を受けていました。

それ以外にも、授業の時明らかに酒臭すぎる先生もいたし、
修学旅行とかで軽く平手打ちをくらわしてくるような人もいました。
教師が、予備校と掛け持ちをしている、なんて噂が流れたこともありました。

そういう「変わった存在」がいることで、「変わった存在」の居場所があったんじゃなかろうか、と。
教師の変わったエネルギーが伝わり、エネルギーあふれる生徒がいたんじゃなかろうか、と。

でも、モンスターペアレントの存在が大きくなり、体罰等々もメディアに取り上げられる中で、
教師自体がおとなしい教師になってしまい、均一化してきてしまった。エネルギーが弱まった。

家庭でも、だらしない親は増えたかもですが、変わった親ってだいぶ減った気がします。

結果、ホントはその時期に踏み出すべき一歩を、
踏み出せない人が増えてしまったんだと思います。

意外と「反面教師」や「変わった親」って必要なんだ、というのが一つの仮説です。

「そんなことしたら、学校があれる」というかもしれないけど、それはまた別の問題だとも思うのです。
荒れる時は荒れる、荒れない時は荒れない。
当たり前だけど、そういう事です。

このご時世、すべての学校がその方向に向かうのは無理でも、
その特色を打ち出していくのは一つの実験として興味深いことです。

母校には「髪染めるのくらいいいじゃん」と言いたい

そもそも今回一つびっくりしたのが、髪を染めることが禁止されていたということ。
昔の自分たちの代の写真を見せたら、みんな驚いていたこと。

自分たちの時には完全に自由だったんです。

むしろ、怖い体育教師にガッとつかまって、何かと思ったら、
「お前それにいくらかかった?俺の(角刈り)は○○○○円だ」みたいな、話をされるような関係でした。

そんな自由な校風がちょっとした誇りでした。

別に自由にほっとかれても、やるときはやる。ってか、やってやる。そう思ってましたし。

 

なんで禁止されちゃったんだろうなー。なんで禁止にしちゃったんだろうなー。

経緯については全然聞かなかったけど、きっといろんな経緯があるんだと思います。

でも、もったいない。

なんだか制度とか規制とか、大人が当てはめる形にはまったものじゃなくて、
信頼関係とか、ゆるく感じることができるものの中で、育った方が、絶対いいと思うんです。

制度にあてはめられて生活していると、思考力が低下する。
制度に従う力はついても、制度をつくったり、仕組み化する力が養われない。

なんでそんな制度を作って強制しちゃったんだろう。

 

親やメディアがちょっと騒ぎ過ぎだと思う。
みんな正論を振りかざし過ぎだ。
きっとブーメランは飛んでくるし、自分の首を絞める。
そんなに人は完璧じゃない。

西宮市長が昔タバコを吸ったといって、議会に糾弾されてるけど、別にいいじゃん。

市長の更新した全文読んで西宮いい街だな、魅力的な街だなと思ったけど、
「発言撤回要求を全会一致で可決」と聞いて絶対住みたくないと思った。
そのうち何人の人が20歳未満でお酒を飲んだか聞きたい。
自分は単に嗜好の問題でタバコ吸わずに来たけど、本音と建前の議論が気持ち悪い。

「苦情が133件寄せられた」っていうトーンで報道するなら、134件応援の電話をしたい。

「時代の流れが・・・」「ああいう場所では言わないべき・・・」
それはそうだし、風を読む力や周りを味方にする力は必要だと思うけど、
そんなこと言っていたら始まらないのではと思ったりします。

正論と現実のギャップを許容する力、そんな包容力が社会にかけています。
それが、教師に影響し、若者にも伝わっていく。

なんだかなー。

 

 

もっと自分で考える機会を創ってあげて、踏み出す一歩を応援したいなと感じました。

 

話はとっ散らかったけど、
エネルギー量をもってこれからも機会あれば想いを伝えていきます。

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