もうこればっかしは、理屈っていうより、感覚的なものなんです。
「〇〇社長」って呼んでる人見ても、「〇〇社長」って呼ばれる人を見ても、特に何も思わないですし、自分も「〇〇社長」って一つのニックネーム的な想いで呼ぶこともあります。
周りにも素晴らしい「〇〇社長」が一杯いて、ホントその人たちにはその呼び名がとても似合っています。
でも、自分が「〇〇社長」って言われると、何だかなーとは思うのです。
「慣れてないだけだ」「慣れた方がいい」と言われてもちょっと違うなと感じて、ちょっと言語化に挑戦してみました。
言われ慣れてない
「慣れた方がいいですよ」と言われるので、
それもまぁあるのかなーとも思います。
ただどこかで「慣れたくもないわ」とか思ったりしちゃいます。
育ってきた環境が違う
そもそもは、
社会人生活のスタートを切った会社が、基本社内は「さん」付けで呼ぶ会社でした。
正確に言うと、
入社のちょっと前までは、肩書きをつけて呼んでたけど、
社内の風通しをよくすべく、呼び方から変えた、というタイミングだったと思います。
そんな環境で育ったこともあり、慣れていないわけですが、
「さん付け」文化に慣れすぎて、異文化に違和感を感じるのです。
古い固い組織な感じがしてしまう
そんな文化で育ってきたので、どこかこう考えてしまうのかもしれません。
新しい会社になり風通しをよくするために呼び方を「さん」にした。
⇄
呼び方が「肩書き」の会社は風通しがよくない古い会社だ。
このロジックが崩壊しているのはわかっているのですが、
社会人最初の3年で植え付けられるイメージって大きいです。
距離感を感じる
しかも個人的には、チーム一丸となって頑張りたいのですが、
「社長」とか呼ばれると、途端に距離感を感じてしまいます。
これも、「さん付け」文化で育ったせいかもしれません。
なんだか距離を感じてしまうのです。
人間個人として付き合う気ないなと、思う
なんでかって思うと、
「〇〇さん」って呼んでくる人は、僕個人に目が向いてるような印象を受けます。
でも、「〇〇社長」って呼んでくる人は、きっと「社長」である僕を見てるんだろうなと感じます。
きっと社長じゃなかったら、そんな呼びかけてもこないんだろうな、
そんな印象を「〇〇社長」という言葉からは受けるのです。
そんな距離感があるんだろうと思います。
個人的には、肩書き云々じゃなく、
人としてぶつかりあって、分かり合ってやっていきたい。
人間個人として付き合ってくれる人と向き合いたい。
そんな想いを持ってます。
「〇〇社長」と呼ばれると、
こちらも、ビジネスで一歩引いてしまいます。
〇〇社長って言ってくる人でいい人の割合が低い
まぁ加えて、真面目な顔して言ってくる人って、
だいたいセールスマンが多いんですよね。笑
なんだか「ヨイショしとけばいいんでしょ」雰囲気が漂ってる人も多く、
そのせいで敬称で呼ぶ人の印象が良くないというのも自分の中ではあると思います。
全員が全員そうではなくて、
それをネタとして使っている人もいれば、
うまく使い分けている人もいるし、
距離感を図る中で、無難だと感じて使っている人もいるんですけどね。
かっこいいな、と思えていない
余談ですが、
かっこいいと個人的に感じないということもあるかもしれません。
昔、あだ名で呼ばれるのもかっこよくないからヤダ、と嫌がってたものの、
今は別にそうでもなくなったので、その感情って変わるものだとは思いますが。
色々あげてみました。
繰り返しになりますが、
自分が呼ばれると違和感を覚えるという、感覚的なものを言語化してみました。
少なくとも、自分のキャラにはあった呼び名ではないな、という。
会社や社員・ゲスト・街をはじめてとするステークホルダーに対する責任感みたいなものは、
別に社長と呼ばれようが、呼ばれまいが、重々感じてます。
「『〇〇社長』と呼ばれたい」
「『〇〇社長』と呼ばれるべきだ」
「自分は必ず『〇〇社長』と呼ぶ」という方の、
意見もぜひお伺いしたいところです。
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