土曜日。
たまたまテレビをつけたら流れていた「永遠の0」に見入ってしまい、
日曜日も続けて見てしまった。
テレビ東京の50周年という事で3夜連続で放送されていた永遠の0。
あくまでフィクションとはいうものの、なんだか考えさせられてしまった。
戦争に行った人は、どんな思いを抱えていたのだろう。
フィクションとはいえ、
少なからず、同じような物語はそこに当然あったのだろう。
家族がいる中で、どういう思いの中で、どういう決断をしてきたのか。
15年前、修学旅行で初めてひめゆりの塔を訪れた。
何年か前には、特攻隊の出撃基地のあった知覧に行った。
昨年末には、久しぶりに、広島の平和記念公園にも足を運んだ。
どこにも重い空気が漂っていた。
「もう戦争はしない」そうみんな感じている。
どこの国の人だって、戦争を望んでいる人なんていない。
でも、実際には、戦争はなくならない。
こう日本が平和に過ごしている今この瞬間も、どこかで戦争は起こっている。
個人は望んでいるはずではないのに。
もう、10日ほど前になるが、
「人質事件を受けて中東の平和にどう貢献できるか」を考える場に参加してきた。
その場にいたジャーナリストの方々が話していたことで、
2つ特に心に残ったことがあった。
一つは、
その場の大半のジャーナリストの意見として、
「イスラム国も然ることながら、
イスラム国が発生した過程にもっと目を向けるべきだ」という論調だったこと。
マスメディアが、総じてイスラム国を集中砲火する中で、
テレビからは伝わってきにくかった切り口だった。
「マスメディアはイスラム国のやっていることがさも残酷なことのように報じるが、
イスラム国がやっていることは、(連合国が応援してる)他の国と真似たことをしているだけだ。」
自分たちは、現場を知らない。
よって、何が真実か分かる術はないのだけど、
さもたやすく流されてしまう、脆い存在だという事を改めて実感したとともに、
ジャーナリストの方々の存在意義・必要性を感じた。
もう一つは、
あるジャーナリストの方が最後に言った、
「日本は検証の出来ない国だ。一度走り出したら止まることが出来ない。
だから、最低限、憲法で戦争をできないようにしておくするしかない」ということ。
憲法改正の議論がニュースでも取り上げられるようになってきた。
理想論を言えば、
運用には幅を持たせておいて、
戦争なんかしないという判断をしっかり下せるほうが自由度は高くていいのだろう。
今の国会の議論も国際貢献上分からないでもない。
でも、そんな理想論はいつまでも保てるのか。極限でも保てるのか。
戦争が出来るかもしれないという運用は不可能な状態にしておいた方が、
日本の為だというのは、なんだかすとんと来た。
怖いものだけど、組織・団体というのは、
個々の個人の思いと時に違った動きをすることがある。
今戦争している国々も、
多くの国民は戦争を望んでいないのではないかなと話を聞いていて感じた。
戦争をしていた日本のことを振り返ってみても。
平和のために、何が出来るのか。
戦後70年という事で、
そうしたことを考えるいい機会が沢山あるんだと思う。
何が出来るんだろう。
組織・団体は、
時に、個人の思いとは違った動きをしてしまうこともあるけど、
でもそうはいっても、やっぱり動かしているのは、
個々の個人の思いだったりもする。
だからこそ、個人的には、
個人個人がもっと国境や宗教を超え、
結びつきをたくさん創ったり、教育をしながら
平和で楽しい世界を目指せたらなと思う。
戦後70年。
30歳を過ぎた自分。
もう、じいちゃん、ばあちゃんいなくなって20年とか経つけど、
もっと戦争のときの話聞いておけばよかったなーって、
昨日はドラマ見ていて思いました。
小学生や、中学生になりたての自分には無理だったのだけど。
今度、父親、母親にどんな話聞いてたのかだけでも聞いとこうかな。
戦後70年。
自分たちに何が出来るんだろう。
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