僕が起業に至るまで(その1)

奮闘記

先日「助成金」の話を初めて耳にし、
申請準備に取り掛かろうかとしています。

+++++++
起業準備を始めた今。
成功も失敗もしていない今だからこその思いを、
残しておこうかなと思ってます。

成功しても失敗しても、
後から振り返ったら後付けの理屈でしかなくなっちゃうしね。

「何かしたいね」に向けた1回目の転職

大学生のいつからだったか、
「将来は仲間と一緒に自分たちで何かできたらな」と、
漠然と考えるようになってました。

でも、就職活動では、迷うことなく大企業を受け、就職しました。
その時は起業のネタも思い浮かばなければ、勇気もなく、
まずは、大企業で社会人の基礎を身に付けようって思ってました。

それが一番無難かな、って。

ホントは商社に行きたかったのだけど、
ご縁のあった損保会社でも楽しく仕事をしていました。
人間関係にも恵まれて、これ以上はないとってもいい環境でした。

でも、労働環境にうるさく、21時には強制消灯のこのご時世。
「もっと働きたい」「満足いくまでやりたい」っていう不完全燃焼な思いを抱えつつ、
このままじゃ「何かしたい」に繋がらない気がして、もんもんしてました。

そんな時、ふと足を運んだセミナーが、選考にそのままつながっていて、
1社しか目になかった希望転職先と運よくご縁があって、3年半で転職。

「コンサル行くなら大企業で3年くらい働いてから」
大学の就活の時そんなことを思ってたのを考えると、
既定路線だったようにも思います。

この時も、起業のネタも勇気もなく、
起業という選択肢は頭にありませんでした。

が、振り返ると、
ここがターニングポイントだった気がします。

「何かできる」力が身につくんじゃないかと、
2008年11月、僕のコンサルタント人生が始まりました。

「何かしたいね」では何も始まらない

世間一般で「激務」と称されるコンサルの仕事。

真偽のほどは置いておいて、
そんな環境も、これまで不完全燃焼だった僕にとっては、
水を得た魚とまではいきませんが、殆ど苦痛はありませんでした。

むしろ、
日々刺激にあふれていて、これまた楽しい時間を過ごしていました。

「何かできる」ような気もちょっとずつしてきました。

そんな生活を送りながら、
損保時代と比べ友人と飲む時間は減っちゃったけど、
飲む度に友人と話していました。

「何かしたいね。」

「何かしたいね。」

ある時、気付きました。

仕事の時は、目の前のことに全力を注いでいて、
飲む時は、「何かしたいね」と言うものの、
そのあとはどうしようもない他愛のない話をしている。

あれ。
これだと、「何か」が始まるきっかけってないんじゃないか。

10年経っても同じような話を居酒屋でしてるんじゃないか。

このままじゃ駄目だなって思いました。
自分から動き出さなきゃ何も変わらない。

まずは考える時間を創るところから

「仕事を待っていてはいけない。」
自律的に動くよう意識付けされたことが、
コンサルで身に付けられた1つだったように思います。

とはいえ、
「何か」がひょんと湧いてくるわけでもありません。

幸運にもその時、
「何かしたい」「何かしなきゃ」と思っている親友がいました。

そこでまずは、
その親友と何をしようか話す時間を増やしていくことにしました。

何かを産み出すには絶対的なコミュニケーション量がモノをいうのでは、
ってシェアをしていた時になんとなく感じていました。

もちろん、「何か」が降ってくることもあるとは思うのですが、
それでは運を天に任せるしかない。

出来るところからほーんの少しでも動き出してみる。

毎週のように飲んでいた僕たちでしたが、
週に1回、出勤前にお茶をすることから始めました。

男2人、朝7時半から新橋のスタバでお茶をする。
シラフの時に、何をしようかブレストする。考える時間を創る。

起業まではまだまだ遠いけど、少し動き出した。
それが約2年前のことでした。

(つづく)

 

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