「準備」を業務時間「内にやる」か「外にやる」かの大きな違い

仕事論

自分が、「起業家」の立場でこういうことを言うと「やれブラック企業だ」やの言われそうですが、「一研修講師」の立場として社会人にとって大事だと感じることがあります。

それは、「今得られる価値ではなく、今後産み出す価値」を重視するほうが絶対にいいと言うことです。
働き方は自由だから、別にどっちでもいいんですけど、「準備」を業務時間「内にやる」か「外にやる」かが産む違いは大きいってことは伝えたいなと思うのです。

権利を主張するのも結構です。けど、目先の利益に目を奪われて、大きな価値を逃してしまうんだとしたらもったいない!

 

自分自身、バイトのときも、何とか切り捨てにならない時間で働こうと思ったりしてました。

「25分働いてお金もらえないなら、後5分ちょっとゆっくり働いて30分のお金をもらいたい」

今得られる価値に目を奪われ、自分が産み出している価値はまったく意識していませんでした。

昇給のないバイトなら時間給で働いているので、それでもいいと思うのですが、
社会人になってもその意識のままだとだいぶ置いてきぼりにされてしまいます。

 

対価は、時間に対して払われるのではなく、成果に対して払われる

学生のころの多くのバイトは、時給で給料が決まっていました。
昇給制度を儲けているバイト先も多いですが、数十円数百円の変動だったり、
多くは「熟練」が昇給に繋がっている(ように見える)仕事が多いものです。

でも社会人になると、成果が如実に求められるようになります。

自分自身、社会人になった時はそこまで意識しなかったのですが、
自分が雇う側になると、相当にその部分を意識します。

単純労働で人を雇うのであれば、時給でアルバイトを検討しますが、
社員として雇う人には、どのくらいの価値を産み出してくれるか(=成果)を求めます。

そして、
大きな成果を残してくれた人には、多くの対価を払ってもいいかな、いや、払いたいと思いますが、
時間投入が大きいのに、成果が伸びない人は、逆に教育への投資も増え、給料にお金を回せなくなります。
そして、別に他の人でも代替が効くのであれば、人事配置を考えるようになります。

 

この「時間」ではなく、「成果」が求められるというのがとても大事です。

 

仕事の対価は、現在の報酬ではなく、将来の仕事と報酬と自由

自分自身、「どんなに頑張っても貰えるのはこれくらいだ」とか、
「いくら頑張っても給料制度の中で先は見えてるな」とか思ったこともありました。

「仕事の最大の報酬は『次の仕事機会』」だという言葉を耳にしますが、
最初は良くわからなかったその言葉も、今は実感を持って分かるようになりました。

言ってしまえば、
20万円の報酬に対して、20万円の仕事しかしない人には、
20万円以上の仕事を任されるわけもなく、結局報酬も20万円止まりになるわけです。

でも仮に、
20万円の報酬しか渡してないのに、100万円の仕事をしてくれた人がいたらどうでしょう。
きっと次には、50万円・100万円渡してでももっと仕事をしてもらいたいと思います。

野球選手を見ても、年俸は年の最初に決まってます。
一部、インセンティブこそあれ、今年の活躍と今の年収は関係ありません。
でも頑張れば、来季の契約と年俸等を勝ち取れるわけです。

企業にいると、「次の仕事機会」なんて求めなくてもそこにあるので、気が付きづらいですが、
与えられた仕事をこなしていればいいやという人は、与えられる仕事止まりになります。
「これしかもらってないから、これだけやってればいいや」だと、
いつまでたっても、「これしか」もらえません。

逆に頑張れば、昇進・昇給や異動の自由も勝ち取ることができるわけです。
(頑張りすぎると、逆に会社はエースの部門に送り込みたくなるので、
異動の自由はなくなるというケースもあるみたいですが。。。)

 

仕事の「準備」は「業務」か「自己研鑽」か

「さぁ人より成果を出そう」と思った時に、個人的に大事だと思うのは、「準備」をいつやるかです。

「準備」は、「業務」なのか、「自己研鑽」なのかというと、
正直グレーというか両方正解だと思います。

例えば、あるプレゼンテーションが来週に控えていたとします。

その場合に、
休みを活用して、ロジカルプレゼンテーションの本を読んだり、
事前にロールプレイをしたりしている人と、
ぶっつけ本番で臨まないまでも、仕事の時間内にロールプレイする人とでは、
確実に差が出ます。

例えば、日々の業務に臨む姿勢でも同様です。

朝早く会社にきて、その日にやることを整理して、
始業時間にはもう既にスタートを切ってリードを持っている人と、
始業時間ギリギリに会社にやってきて、
始業とともに1日の計画を考える、あるいは、考えずに作業する人とでも、
確実に差が出ます。

それは当然、産み出す価値の差になるわけです。
こうした、準備が「業務」か「自己研鑽」かと言われると、
読書は自己研鑽な範疇な気もしますが、その他は正直曖昧なところです。

線引きが微妙であるが故に、人によって、取り組みに差が出てくる部分でもあり、結果にも差が出てきます。
特に社会人の立ち上がりのころに、顕著な差が出てくるものです。

 

「準備」を業務時間「内にやる」か「外にやる」かの違い

冒頭に書いた通り、働き方は自由です。

大企業に入ったし、昇進にも興味がないから、最低限のモノが貰えればいいというなら、
別に、オフには全く仕事をしないというのも一つだとは思います。

でも、上を目指して頑張ろうというのであれば、
「準備」をオフの時間に整えとくことは物凄く大事なことです。

周りを見渡しても成果を残している人は、オフの時間をうまく活用しています。

不器用ながら、オフの時間もすべて仕事に投入している人。
器用に、オン・オフを使い分けているが、オフの経験を、仕事にも活かしている人。
オフ中にある程度整理をして、月曜の朝一からスタートダッシュが切れている人。

 

 

「準備を業務時間内にやって十分に価値を出せるなら問題ないか」と言われればその通りです。

でも、「自己研鑽も『業務』の範疇だと主張する人」は、
「業務外でしっかり自己研鑽をして業務に臨む人」に敵いません。

投入時間の問題以前に、意識の問題として敵になりません。
「成果」「自分に求められている役割」に対する意識が圧倒的に違います。

これが大きな違いです。

結果、成果に違いが出て、ひいては、将来の報酬・仕事・自由に繋がっていきます。

 

もし自分がより成長していきたいと思うなら、
自分の産み出す価値を最大化するためにどうしたらいいか考えながら動けると、
将来の選択肢も増えていくように思います。

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